このブログは、平成19年6月から平成22年3月までの間、愛媛県の南予地域活性化策の一つとして、宇和島市が住民のみなさんと取り組んだ「うわじま虹色ツーリズムプロジェクト」の軌跡と、当時の担当職員の日々の記録であり、平成22年3月末日を持って、新しい記事が更新されることはありません。
平成22年4月、「うわじま虹色ツーリズムプロジェクト」は、「うわじま虹色ツーリズム」として、会員である市民のみなさんが、独立運営を行っており、そちらの記録は「うわじま虹色ツーリズムです!」ブログをご覧ください。

2008年9月13日土曜日

石崎さんとゆく!辰野川歴史さんぽ

13日は、午前10時市役所に集合で、石崎研究員による辰野川歴史さんぽに出かけました。
こり体験は、宇和島のこと案外知らないよね~という先月の研究会に端を発し、だったら、ガイドできるよう、石崎さんに教えてもらっちゃおーというわけで、実施する運びとなりました。

ちなみに、この日、ブログ担当者のデジカメがついに壊れてしまい、全編ひげ係長撮影のため、珍しくブログ担当者が写ってるかわりに、ひげかかりちょの姿は出てきません。全国100万人のひげかかりちょファンの皆さま、ごめんなさいね。よよよ。

辰野川水系は、お寺と橋が多いのです。
市役所から少し歩いた「堀末橋」から川沿いを歩くこととなりました。
ちなみに、橋については、タックさんのHP「城下町 宇和島から」「宇和島・橋物語」をご参照あれ!

このあたりは、白鷺なんかもいて、おまちで開けている割に、妙に下町風情があるんですよね。てくてく歩き続けると、国道とあたります。この橋なんていう名前かご存知ですか?
「お茶選橋」といいます。その昔、お茶を選ってたらしいのですが、かわいらしい名前ですよね。お茶しに寄っていきさいやっていう感じにもとれるし。ちょっといいカフェなんかあるといいかも。
ちなみに、そのころの大平。岩松町並み保存会の皆さんが、棚田に柵をとりつけていました。むっちゃ大変やったらしい・・・。そんなわけで、今回豊島さん欠席。詳しくはなっそブログ参照のこと(笑)
こっちに戻りまして、お茶選橋から国道と商店街を横切り(商店街の簡単なご紹介ガイドもあったらよかったですね。)新栄橋です。結構地味な橋なのですが、写真で見ると意外に素朴でいい感じ。
ここから少し上流に行くと、こちらは宇和島の橋の中で一番メジャーな「穂積橋」へ到着します。
「銅像となって仰がれるよりも橋となってふんでもらいたい」

穂積陳重氏は、日本の民法の祖と言われている方ですが、郷土を深く愛してくださった方です。護法の神と呼ばれた児島惟謙氏とも親交が深く、宇和島出身の方って、えらかったんですよぉ~!

ちなみにちょっと向こうにある郷土料理のお店は、「ほづみ亭」。ヅケの鯛めし美味しいっす。続いてここ。どこかわかりますか? これまた幕末の蘭学者高野長英氏の居住地跡です。宇和島藩主自らが匿い、当時大阪の緒方洪庵氏が開いた公的に認知されていた「適塾」とともに、全国で二つしかなかった蘭学塾「五岳堂」を開き、一年に満たない宇和島での生活の中で、多くの礎を残してくださいました。しかし、この碑わかりにくいんっす。
そこからてけてけ歩くと、橋が見えてくるのですが、辰野川水系の通りの中で、一番風情があり、一番ビビットな橋が軒並み登場し始めるのです。いつもいつもここ通るとき、あまりのまぶしさに伏し目がちになっていたのですが、この橋たち通称「虹色橋」といいます。虹色ツー的には、大歓迎なわけですが・・・やや恥ずかしくもあり・・・。びみょー。
気をとりなおしつつ、この界隈には、朝しかあいてない、うどんやさんとか、むちゃくちゃ分厚い肉が出る焼肉やさんとか、某芸術分野の大家のお宅があったりと、意外にバラエティに富んでます。ちなみに路面にも宇和島らしい一細工がしてあるんですよ!
名前を辰野川桜街道というのだそうです。桜のころは、本当に気持ちいいです。
でもって路面の細工とはこのこと。遊海の山下家でも、アコヤ貝を提供したのだとか。路面にうまってるかも。 歩いていると、きらきら光ってきれいです。
季節には、蛍が飛ぶ姿も見られていたのですが、飛んだり飛ばなかったりみたいです。内藤さんによると、下流には手長えびもいたらしいんですが。見れませんでした。望月橋まで来ました・・・。このあたりは黄色・・・。望月だから黄色なのかなぁ・・・。
そして、辰巳橋まで来ましたよ!ちなみにこの右の通りが「六兵衛坂」です。
ここから延々とお寺が続きます。看板を眺めながらさらに上へ行きますが、その前に西江寺のお庭を見ることにしました。
西江寺は、村上天心が描いたえんまさまの絵が有名です。ご開帳の日に、この絵を見て、宇和島の子供たちは嘘つくと、えんま大王に舌を抜かれると教育されるため、正直ないい子が多いんだそうです。
枯山水のお庭です。鬼ケ城を借景にしているのですが、あえてこっちから。現物は、現地に来てみてくださいね。天赦園のような池泉廻遊式庭園のように、池や築山を中心にして回遊できる庭園とは違い、水を使わないで石と砂と苔や潅木 を加えてつくられています。雑草ひとつ生えてないんですよ!これが!!

宇和島は、お寺もたくさんあるのですが、旧市のうち、国指定が天赦園、県指定がここ西江寺、市指定が、竜華山、金剛山、明源寺となっています。

さらにてくてくと上へ。延々お寺とお墓の道が続きます。
途中には、市指定の天然記念物「黒柿」があります。もともとは七本だったのですが、台風で二つ倒れて五本に。材としても希少価値が高く、愛媛ではほかに見られない珍種なんだそうです。 もう実がおっこってたのですが、これがなかなかつかないんだそうで、石崎さんが、こつこつと増やす努力をしてくださり、薬師谷渓谷に、少し移植されています。
そしてやってきました。竜華山。こちらには、初代藩主や幕末4賢候として名高い宗城候をはじめ、宇和島のお殿様の半分が眠られています。ちなみに「等覚寺」というお寺のお名前は、藩主の戒名のため、お寺の名前を呼び捨てにすることは控えられていて、山号で呼ぶこととなっています。
竜華のお山にも秋の気配。
というわけで、藩主さまにご挨拶したのですが、ここでおもむろに石崎さんが広げたのは!
じゃじゃーん♪初代藩主秀宗候直筆の書!っていうか、そんな文化財、こんなとこで無造作に広げないでーーーーっ!手油つくしーーーっ!!せめて手袋くらいしてーーーーーっ!!!ブログ担当者真っ青 藩主さまのお墓の前で見せたかったんだそうです。あー、びっくりしたーーーー。さすが骨董やさんです。隠しアイテムがいきなり出てくるし!こり偽者やったら、今頃お殿様おこりよるでなー、なんて和やかに談笑。秀宗候の字は、流麗ですごく美しかったです。
「世は満足じゃ♪」
そこから、桑折氏のお墓をまわって、いい時間になってしまったため、おたもん跡まで降りて一時解散としました。
午後からの全体会でふりかえりをしましたよ!
ターゲットのニーズにより、コースや休憩ポイント、話すエピソードの内容検討が必要だねーとか、貴重な資料が見られて得したなぁとか、普段はあまり歩かないとこやから新鮮、など、いろいろな感想が出ました。何かの体験と一緒にいい散策ツアーが組めるといいんだけどなぁ。

なお、石崎さんからのインフォメーションで、明治の頃、日振島に流れ着いた「丸木舟」をモチーフとした絵の展示会が、べにばら画廊さんで開催されている旨、お知らせがありました。海を中心とした昔の宇和島の宝物だと思うので、ぜひ見に行ってほしいとのこと。現物もお話いただければ見せてもらうことができるそうです。って、16日まででした・・・。

遅かった・・・。ま、こういうことを記録するのが大事なんだってことで・・・。後半へつづく