宇和島城築城400年祭のときには、御城下を通過し、見事、宇和島城天守で殿様と面会なんてイベントにも快くご協力いただいたりもしていて、結構、芝居っ気のある方々らしいので、賑やかに催されているのかなと思います。
この一揆、現在国安の郷で大切に復元されている「法華津屋」ですとか、もろ吉田藩そして宇和島藩の話がからんでくるので、ちょっと歯切れが悪いというか、あああなストーリー(見方を変えれば、民衆が勝利した珍しい一揆)なのだけど、(そのあたりの事情は宮本先生のサイト「宇和海民俗誌」あたりをご参照のこと) その際に民衆の怒りを静めるため、八幡河原で割腹をされた方が吉田町で祀られているのですが、ご存知でしょうか?
ときの家老の安藤継明様で、現在居住地跡は、安藤神社という名前で、吉田町の中心部で大切に祀られています。
宇和島藩でいうところの和霊神社と同じで、当時、民衆をとても大切にしたご家老だったそうです。
昨年の今頃は、ほぼ連日のように吉田町通いをしていたのですが、その時にとりだめた写真を見ると、繁華街の中に急にぽかっと神社があって、なんとも町並みにに馴染んでるんですよね。お寺とか神社というと、小高い山や人里離れたところというイメージがあるので(丸の内和霊神社も街中ですが、やはり結界じみた近寄りがたさを感じるので)、不思議に思うと同時に親しみを感じる神社やなぁと思ったものです。
神社の裏のあたりは、桜の小道と呼ばれる小さな散歩道があり、春には美しいソメイヨシノが咲き誇っています。そうなんですよ。吉田町国道からひとつじ入ると面白いものが結構あって、奥が深いんですよ。宇和島市内では、空襲のため、もう面影を探すのも困難なご城下の風情が、まだ残ってますしね(残念ながら、少しずつ無くなってます)。左に座ってるおっちゃんなんか、市街部では、もう天然記念物なみの出現率ですし(笑)。ま、冗談はさておき、城下町らしい碁盤の街並みは、先の先まで見通せる一本道となっていて、どこに入っても痛快なくらい先まで見通せます。
ブログ担当者のお気に入りは、御弓町通り付近。かろうじて、武家屋敷っぽい建物もまだ健在。この近くにある喫茶店から、外を眺めるのが、司馬遼太郎さん大好きだったそうです。
今年の虹色ツーリズムのテーマは「みかん」。みかんと言えばの吉田町ですよ!潜在資源は腐るほどある!!岩松や宇和島の住民が羨むほどに古きよき景観がまだ残ってる!!!というわけで、奇しくも先日研究会でガイドをしてくれたHくんが、最後にこんなことを話してくれたんで、御紹介しますね。
「文化財というと「お金持ちのお殿様が持っていたもの」というイメージがあるんじゃないかと思います。でも、この段畑は、一人一人の普通の人の努力による文化財です。だから、耕作者の方には、ここをガイドするとき、「すごいね」とか、「綺麗だね」とかいうだけでは終わらないガイドをしてほしいと言われています。今日来ていただいた皆さんにも、「大事なものなんだ」という意識を持っていただきたいことと、自分の地域に帰ってみても自分たちが「遺したいものを見落としているんじゃないか」と振り返ってもらいたいなと思います。」
皆さんの町では、遺したいもの見落としてないですか?「景観10年風景100年風土1000年」と言います。この宇和島の町で千年先の子供たちに遺したいものって何があるだろう。