このブログは、平成19年6月から平成22年3月までの間、愛媛県の南予地域活性化策の一つとして、宇和島市が住民のみなさんと取り組んだ「うわじま虹色ツーリズムプロジェクト」の軌跡と、当時の担当職員の日々の記録であり、平成22年3月末日を持って、新しい記事が更新されることはありません。
平成22年4月、「うわじま虹色ツーリズムプロジェクト」は、「うわじま虹色ツーリズム」として、会員である市民のみなさんが、独立運営を行っており、そちらの記録は「うわじま虹色ツーリズムです!」ブログをご覧ください。

2008年7月1日火曜日

宇和島の昔の人、なんかおかしい・・・・。

※ 29日の記事に、牛鬼を初めて担いだKくんのレポートを追加したので、読んでやってくださーい

さて、昔、どこかの偉い人が講演に来られていたときに、
「宇和島の人は、とにかくご当地の自慢話と司馬さんの話が多い。幕末の話をさせたら、何分でも話す。まぁ、それだけ地元の先人を大事にしてるってことだ」
とか言われた記憶があるのですが、そのときの正直な感想は、
「え~!宇和島ほど先人のこと知らないとこないよ~。司馬さんは大好きみたいだけど。」
と思った覚えがあります。

ご存知、司馬遼太郎さん(あー、でも今の若い子知らない子も出てきたんだなぁ)は、「日本で一番すきなのは、長崎と宇和島」と語ってくださって、多分、宇和島では一番の広告塔をかってでてくださってたんだなぁと、今更ながらに思うのですが、司馬さんも講演などでお話してくださったり、本を書いてくださったりしている通り、ほんっっっっとに、幕末の宇和島って、かえすがえすも、ちょっと異常だったんじゃないかと思ってしまいます。

知れば知るほど面白いし、なんでこの時代に生まれなかったかなぁと、残念に感じるくらい、わくわくどきどきの痛快な逸話がたくさん転がっていてですね、あの人とこの人が出会ってたり、仲良しだったり、いろいろと想像をめぐらすとほんとに楽しい。
大体、蒸気船で参勤交代したい♪って理由でちょうちんやにそれやらしたり、殿自らお尋ね者かくまったり、別府で一旗あげた人もいれば、大阪あたりで通天閣たてよーとか考えた人がいたり、おもしろいですよー。

その中でも、「児島惟謙」さんと「穂積陳重」さんのお二人は、それぞれ「護法の神」「民法の祖」と言われていて、それぞれ人柄が偲ばれる逸話もたくさんあるわけですが、なかなかこんなこと、普段勉強する機会もないもんです。
ところが、今年は児島先生が亡くなられて100年ということで、今度の5日の土曜日に市役所で講演会があるんです!

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講師のお一人、近藤先生は、皆さんよくご存知のことと思いますが、もうお一方、緒方眞澄先生は、児島先生のお父さん側のご実家(養子にでられたそうですが)で、野村町で代々お庄屋さんをつとめられていた緒方家(児島先生は16歳の頃、こちらに寄宿されて酒造りをお手伝いしていたそうです)の方です。
ちなみに、この緒方家というのが、また面白くて、野村騒動解決したり乙亥相撲つくっちゃったり・・・嗚呼。キリがない。
ま、そんなわけで、入場無料ですので、ぜひお話聞きにおいでください。
【児島惟謙没後100年記念講演会】
と き:平成20年7月5日(土)午後2時~
ところ:宇和島市役所2階大ホール