このブログは、平成19年6月から平成22年3月までの間、愛媛県の南予地域活性化策の一つとして、宇和島市が住民のみなさんと取り組んだ「うわじま虹色ツーリズムプロジェクト」の軌跡と、当時の担当職員の日々の記録であり、平成22年3月末日を持って、新しい記事が更新されることはありません。
平成22年4月、「うわじま虹色ツーリズムプロジェクト」は、「うわじま虹色ツーリズム」として、会員である市民のみなさんが、独立運営を行っており、そちらの記録は「うわじま虹色ツーリズムです!」ブログをご覧ください。

2009年10月17日土曜日

あいなんからの祈り~紫電改のこと~

ツーリズムでも「全国区」の地域資源について討論したことがありますが、宇和島のおとなり「愛南町」には、まさに全国でここだけにしかない貴重な財産があります。

「紫電改(しでんかい)」日本軍最強戦闘機と呼ばれた機体で、米軍のテスト時のコメントとして「どの米海軍の現役戦闘機よりも優速」といわれていたのだそうです。

その日本軍最強の翼のために、エリートパイロットによって編成されたのが
第343航空隊。通称「剣」部隊でした。

1979年11月久良湾の海底で紫電改が発見され、翌年引き揚げがされました。発見引き上げから30年を迎える今年、愛南町さんと南レクさんのご尽力で、さまざまな催しが、開催されていましたが、今日明日がメインイベント。そんなわけで、郷土料理を囲んでの紫電改搭乗員・引揚げ関係者との懇親会というのに参加させていただきました。
ツーリズムの研究会のあと、博物館のSちゃんの勤務明けを待って出かけたので、開始から30分ほど経過しての参加となりましたが、割と前の方にお席をご用意していただき、はっきりいって場違い(笑)
自分的には熟女だと思っているのですが、周りを見渡せば、まだまだ若輩だなぁと思い知らされるような面々ばかりで、大人しく愛南の美味しい食事をいただいてました。
この席に来た目的として、元搭乗員のKさまのお話をお伺いしたかったのですが、前の方のお席におられたので、さすがにご挨拶にいけないなぁと思っていたのですが、同じテーブルにおられた方のご好意で、なんとお隣の席についてくださいました!

Kさんは、ゼロ戦 のパイロットとして、フィリピンや南洋島々を巡り、内地に戻って剣部隊の所属となられたそうですが、「紫のマフラー」の逸話や、戦闘機乗りとして訪れた場所でのエピソードを惜しみなく語っていただいて、ほんとに夢のような時間をいただきました。

というか、がっつり話を聞き込んでしまったので、ほかのお客様に申し訳ないほどだったのですが・・・(汗)、Kさん繰り返し繰り返し、何度も何度も
「自分が今日ここに来たのは、紫電改を保存して展示していただいている愛南町の皆さん愛媛のみなさんに感謝とお礼を伝えるためだ」
と言われてまして、りんごのようなほっぺをされて、深〃と頭を下げられるんです。

もう、ちょっと、胸はつまるし、涙目になるしで、なんかもう言葉にできなかったです。
Kさんは150名の仲間を失い、今回ただ一人搭乗員としてご出席いただいたのですが、多分、いろんな思いをされて生きてこられたのだと思うのですが、お話いただいた内容って、多分、みなさんが想像されるようなことではなくて、思わず笑みがこぼれるような、当時のKさんが感じたみずみずしい現地の方々との交流や同僚のみなさんの群像のお話なんですね。

その一つ一つがほんとに、なんていったらいいのか「愛しい」んです。
できれば一晩中お話お伺いしたいくらいだったのですが、締めの時間となり、一緒にお写真撮らせていただいて辞しました。
Kさんほんとに貴重なお話をありがとうございました。
いつまでもお元気でいてください。

そんなKさん、明日のイベントにも出席されます。
予定のない方は、ぜひ愛南町へ!

あいなんからの祈り「記念セレモニー」

そして、担当者としてまさに心血注いで頑張られたNさんの地と汗と涙の記録はこちら↓