津島町の研究員さんで、「四国の道」のパトロールをしてもらっている源太郎さんと、津島のお遍路道(トレッキング・ざ・空海あいなんのイベントで知られている柏坂越えのコースです)を一緒に歩いたときのこと。
春先でぽかぽかとした日差しの気持ちいい一日でしたが、それでもまだまだ寒い中、実に13組のおへんろさんと道中お会いすることができました。
その中のお一方から、「愛媛に入ったとたんに、とても道がやさしくなって、歩きやすくなりました。お掃除ありがとうございます」とお礼を言っていただいたものの、私自身が、お掃除しているわけではなく(その時は頑張ったのですが・・・)、恐縮しつつも、源太郎さんや地元の皆さん、てんやわんや王国の皆さんのやさしいお接待の心の表れだなぁと、誇らしく思ったものです。
そのときの写真
宇和島市は合併して、1市3町がひとつの市となりましたが、実は八十八箇所の札所がある町は、もともと「三間町」だけなのです。とても霊的な土地として、弘法大師さまの中で、何か感ずるところがあったのだと思うのですが、おかげで、40番から41番までの間は、かな~り長い距離をひたすら進む現在でも苦しい道のひとつであろうと思います。
その三間町には、「窓の峠」というところがあって、今はほとんど通る人がいない昔のおへんろ道なのだそうですが、宇和島市の光満から三間盆地へと抜けていくその「窓の峠」のあたりは、宇和島軽便鉄道があった頃のトンネルもあり、近代遺産にもなっているあたりなのだとか。
「旧遍路道」と書かれた標柱も。
この峠のことを初めて教えてもらったのは、三間町の研究員の中矢さんから。
「この峠を抜けてから見る三間町の風景は、とても綺麗で、昔のおへんろさんの苦労も偲ばれる大切な場所」
中矢さんたちは、今ではほとんど使われなくなってしまったこの道を、お遍路さんに歩いてもらうため、なんとみんなで手分けして、お掃除をしてくれたんです。
すごく素敵な風情の峠ですよね?
ここを抜けてから見渡せる風景は、
「春は菜の花やれんげのむしろ、稲穂が美しい早い夏をすぎて、麦秋には夕景、その後にはすべてを天に帰する銀一色の冬がやってくる」
のだそうです。
目を閉じると光景が浮かんできそうですよね。
今日は、この窓の峠を歩く人たちが、峠の上で、ほっと一息つけるような由来を寄せた看板のデザインを・・・と、原案の文章を持ってきてくれました。
ちなみに11月23日の記事で書いたつるし柿のお土産つきです!はらしょー!おいしーーーーーっ!!!
柿をいただいたからではないのですが、お遍路さんが、この峠を万感の思いで歩いていただけるよう、何かよいデザインを考えなくては!