このブログは、平成19年6月から平成22年3月までの間、愛媛県の南予地域活性化策の一つとして、宇和島市が住民のみなさんと取り組んだ「うわじま虹色ツーリズムプロジェクト」の軌跡と、当時の担当職員の日々の記録であり、平成22年3月末日を持って、新しい記事が更新されることはありません。
平成22年4月、「うわじま虹色ツーリズムプロジェクト」は、「うわじま虹色ツーリズム」として、会員である市民のみなさんが、独立運営を行っており、そちらの記録は「うわじま虹色ツーリズムです!」ブログをご覧ください。

2009年12月14日月曜日

龍馬さんと宇和島

久々の薀蓄ネタ。ここんとこ、四国管内の観光業界で期待をもって語られる「坂の上の雲」と「龍馬伝」。
そのせいか、最近、宇和島に来るお問い合わせとして

「龍馬脱藩の道って、宇和島のどこですか?」

というのが、ちらほら増えてきました。
確かに
「脱藩の際に、脱藩成功を祈念し、和霊神社に参拝した」
と、いわれているため、おっ、宇和島に来たんやん!!
と思われること多いみたいなんですが、和霊さまは和霊さまでも高知のご実家に勧請されていた神社の方ですので、とっとと脱出しないといけない状況で、わざわざ宇和島には来てないんじゃないかと思われます。
ただ、脱藩ルートを考えると、韮が峠を越えるあたりで、「宇和島藩領」は、かすめてるかと。
こちら、現在は、西予市野村のあたりとなります。惜しい。

ちなみに、宇和島藩に、坂本龍馬さんが滞在とされているのは、脱藩の前、1861年 (文久一年)、いわゆる「お庭番」同士でなんかあったみたいで、その際、互いに藩士として児島惟謙先生や土居通夫先生との出会いは、あったんじゃないかといわれてます。

その後、龍馬さんの影響かどうか定かじゃないですが、二人とも脱藩。1865年 (慶応一年)には、児島先生は長崎で、龍馬さんと親交を結んだと言われていて、この年は亀山社中結成の年でもあります。
龍馬さんより二個下の宇和島出身の偉人お二人に、何らかの影響を与えていたのかなぁと、考えるのは、龍馬さんファンにとっては、楽しいんじゃないかと。
そんな幕末から明治にかけてのドラマをしのびに、松山から高知へお越しの際には、ぐるっと左回りで宇和島にもお立ち寄りください♪
・・・っていう誘客が、ここしばらくは有効と思われるのですが、いろいろ無理がある気がしてならないのが本音です・・・(苦笑)
松山高知間、高速経由(2時間1000円)を、どう頑張ったら宇和島経由(頑張れば4時間。高速切れてるから1000円じゃ無理)で選んでもらい、なおかつ満足と感動を得てもらえるのかなぁ。