このブログは、平成19年6月から平成22年3月までの間、愛媛県の南予地域活性化策の一つとして、宇和島市が住民のみなさんと取り組んだ「うわじま虹色ツーリズムプロジェクト」の軌跡と、当時の担当職員の日々の記録であり、平成22年3月末日を持って、新しい記事が更新されることはありません。
平成22年4月、「うわじま虹色ツーリズムプロジェクト」は、「うわじま虹色ツーリズム」として、会員である市民のみなさんが、独立運営を行っており、そちらの記録は「うわじま虹色ツーリズムです!」ブログをご覧ください。

2010年3月4日木曜日

宇和島から嫁いだあんず姫

駅前の杏が満開ということで、ひげ補佐とnami-chanが出かけたついでに写真を撮ってきてくれました。
満開過ぎて、花吹雪になりそうですが、綺麗ですね!
あんずの花といえば、千曲市なのですが、このブログ、いい加減長々やってる割に、千曲市のこと全然書いてなかったです!というわけで、あんずと千曲市について。

旧宇和島市時代、市の花はあんずでした。
今では、市内で、あんずの花が群生しているところってあまりイメージがないと思うのですが、さかのぼること藩政時代、多分宇和島にはあんずの花が当たり前にあったんではないかと思われます。

時の二代藩主宗利公の息女「豊姫」は、わずか15歳で、17歳だった松代藩主真田幸道公へ嫁ぐこととなり、実家から「鉢植えのあんず」を持参し、故郷をしのぶよすがにしたそうです。その後、姫がさびしい思いをしないように松代藩では、杏をたくさん植えられたそうで、当時の松代藩の皆さんやお殿様の思いやりが感じられるエピソードですね。といっても、昔のことなので、定かじゃないですが、想像すると楽しい。
今でも、豊姫ゆかりのあんずの3代目が、菩提寺にあるそうです。
その後、幕末四賢候として知られる宗城候の息子さんが、養子として松代藩で藩主となられていたりと、何かと交流があったんだと思うのですが、今では一目十万本のあんずの里として知られるようになった千曲市さんとは、現在の宇和島市も姉妹都市として交流が続いています。
豊姫のことは、「あんず姫」とも呼ばれているみたいで、ますますほほえましい。
末永くおつきあいしていきたいですね。