このブログは、平成19年6月から平成22年3月までの間、愛媛県の南予地域活性化策の一つとして、宇和島市が住民のみなさんと取り組んだ「うわじま虹色ツーリズムプロジェクト」の軌跡と、当時の担当職員の日々の記録であり、平成22年3月末日を持って、新しい記事が更新されることはありません。
平成22年4月、「うわじま虹色ツーリズムプロジェクト」は、「うわじま虹色ツーリズム」として、会員である市民のみなさんが、独立運営を行っており、そちらの記録は「うわじま虹色ツーリズムです!」ブログをご覧ください。

2009年9月18日金曜日

もよおしものあれこれと当別町

ゴールデンウイークもそうなんですけど、どうも商売っ気がないのか宇和島市では、シルバーウイークの間のイベントが特に・・・。
唯一、秋分の日にYEGの皆さんが、きさいや広場でミニイベントをされるので、ご紹介です~。市内小中学校の吹奏楽部の子どもたちの爽やかな生演奏が聞けますので、どうぞお買い物かねてドライブにおいでください。

また、来週末となるのですが、晴れて姉妹都市となりました「北海道当別町」から、おいしい特産品がやってきます!
というわけで、流れよく当別町おさらい。
当別町と宇和島市は、直接のつながりは薄いのですが、宇和島では初代藩主秀宗さまが幼少時代をお過ごしになられた「岩出山(現在、大崎市)」と先に姉妹都市を結んでおり、その岩出山の幕末の頃の領主伊達邦直さまが、率いた開拓団が入植したのが今の当別町であります。
一国の領主が開拓団として、極寒の地へ赴いた理由は、戊辰戦争の敗戦による減封と城の召し上げにより、家臣たちが士分を剥奪され、帰農を命ぜられたことが契機であったそうですが、当時の開拓団の様子は、近年映画制作のあった「北の零年」などからも慮られるところです。
事実、ものすごぉぉぉく大変だったみたいです・・・。
幕末四賢候に数えられた藩主のおかげで、戊辰戦争での傷を背負うことなく、比較的のほほーんと幕末をすごした宇和島は、とても幸せだなぁと思うとともに、私財をなげうち、家臣のために自ら進んで苦難の道を行き、活路を見出そうと尽力したお殿様「伊達 邦直」さまの行動力に、敬意を抱きますなぁ。
そんな当別町さん、宇和島からだとものすごぉく遠いんですけど、とても大事にしていただいてます。
距離は遠いけど心は親戚の当別町。皆さんもぜひ伊達な産品を味わいにおいでください。